'09 んみゃーち美ぎ島 宮古島⑤ 平良

2023年3月10日金曜日

2009年 沖縄 自転車旅

4日目 2009年3月14日(土)

今日は天気予報通り、雨…。そういえば出発前の週間予報から今日は雨で、当初考えていた鹿児島や宮崎は雪予報だった日だ。

外を見ると小雨だが、風が少し強い。今日は自転車はやめてレインウェアを着てぶらつくことにする。ただ行きたいところが全然ない。困ったー

チェックアウト時間の10時直前に部屋を出る。しばらくフロント横にある椅子に座ってどこへ行くか考えていた。「フロントから『今やっと出ました』」と清掃する人に電話しているような声が聞こえる。自分のこと言われているみたいだ。別にいいけど…

だんだん居づらくなってきたし、雨も止んできたので外に出ようと思う。

10:24 ホテルを出発。

自転車がイタズラされていないことを確認して、とりあえず平良港マリンターミナルに行く。時間をつぶせるところというとそこしか思いつかない。

10:36 平良港マリンターミナルに到着。

ツーリングマップルやガイドブックを見ながら1時間ぐらいなんとか時間を潰す。さすがにここにも居づらくなってきたのでガイドブックで見つけた「宮古協栄バスターミナル」に移動しようと思う。

移動中に平良の街中もブラブラしよう。あとバスでどこか観光しようかな?

11:32 平良港マリンターミナルを出発。

宮古協栄バスターミナルに向かっている途中、小雨がまた降り始める。風はずっと少し強いまま。

「まてぃだ通り」と書いてある石の標示板。ああいう石の標示板は他では見たことないな。

12:22 宮古協栄バスターミナル付近に到着。

バスターミナルっぽい建物は見当たらない。周辺も回ったがそれらしいところは見つからない。もういい。平良の街中に戻る。時間潰しにはなった…。

市役所近くまで戻ってくると、通りに「平良綾道マップ」を見つける。この近辺にいくつか史跡があるようなので、そのあたりを周ってみようと思う。

まずはホテルのすぐ近くにある「ドイツ皇帝博愛記念碑」。明治時代にドイツの商船が台風で宮古島沖で難破、宮古島の人々が乗組員を救助して手厚く持て直し、それを知った当時のドイツ皇帝が記念碑を建立したという。

ドイツ語で書かれている記念碑は長い間の風雨によってか、かなり禿げていてほとんど文字が消えてしまっている。ドイツ語で書かれているっぽいので禿げていなくても読めないが…。

ドイツ皇帝博愛記念碑
ドイツ皇帝博愛記念碑

腹が減った。

13:13「古謝本店」に到着。

これまたホテルのすぐ近くにある宮古そばの店。ソーキそばを食う。うまい!特にソーキがめちゃくちゃうまい!

腹も満たしたので、次は少し遠出して久松にある「久松五勇士顕彰碑」を見に行く。

「久松五勇士顕彰碑」とは、

日露戦争時、島民が日本本土に向かうロシアのバルチック艦隊を発見したが、当時宮古島には電信施設がなかかったため、久松の漁師5人が電信施設のある石垣島へ小さな舟を漕いで向かった。無事に石垣島まで辿りつき、さらに陸路を経由して連合艦隊に連絡する。その功績を讃えた碑。ガイドブックより。

途中にある「パイナガマビーチ」も見ていこうと思う。国道390号線を歩く。

13:46「パイナガマビーチ」に到着。

白い砂浜とエメラルドグリーンの海がキレイだ。なんで天気が悪いのにこんなにキレイなんだ?やはり砂が白いからか?

パイナガマビーチ
パイナガマビーチ

県道192号線に入り、住宅街を歩く。県道192号線の終点で「久松五勇士の碑➡︎」の案内標識が出てくる。右へ行く。そこを進むと「久松五勇士」の石碑のような案内板が出てくる。

14:25 丘を登り「久松五勇士顕彰碑」に到着。

五勇士の名前、そしてそれを表している五つの白い柱の上に小さな舟がのっかっている。あんな小さい舟で外海に出て手漕ぎで石垣島まで行ったとはちょっと信じられない。漁師とはいえ先人の勇気はすごい。当時の日本の戦況や社会の雰囲気も影響したとは思う。

久松五勇士顕彰碑
久松五勇士顕彰碑

周辺には他にいくつか「久松五勇士」関連の石碑がある。港の方に降りてみる。沖に小さな島。潮が少し引き気味。でも海の色はエメラルドグリーン。

平良の街に戻り、史跡を巡ろうと思う。それで今日の観光は終わりにしよう。

14:44「久松五勇士顕彰碑」を出発。

「松原みゃーか」と書いてある看板。なんの看板なんだ。さっぱりわからん。

来る中にも見えたちょっと派手なオレンジ色の民宿が見える。気になったので近くまで行ってみる。「民宿 島人」、立派で新しい。

国道390号線は通らず、県道192号線を直進する。平良の街へ戻る。

15:39 宮古神社に到着。

その後、漲水(はりみず)石畳通り、漲水御嶽(うたき)と石垣を見学。

漲水石畳通り
漲水石畳通り

そこから北にある仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓、知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)の墓、恩河里之子親雲上(おんがぁさとねしぺーちん)の墓碑を見て、さらに北にある湧川(ばくがぁ)マサリヤ御嶽見て周る。字が読めない史跡のオンパレードだった。ふりがなは後で調べたもの。

知利真良豊見親の墓
知利真良豊見親の墓

適当に住宅街の道を通って漲水石畳通りまで戻り、今度は上から漲水石畳通りを眺める。漲水石畳通りは住宅街の中の斜面にある。近くにある宮古研究之先駆者 ニコライAネフスキー之碑も見ておく。

いろいろ見て周ったが、字が読めない上、史跡の背景や人物のことも全然わかっていない。アホ。

以上で今日の観光は終了。

16:22 ホテルに戻る。

シャワーを浴び、晩飯を食いに出る。今日は「魚宮」という店にも行こうと思う。やはり飲みなら魚介系の店がいい。

17:37「魚宮」に到着。ちょっと早かったが、開店している。ヤシガニ料理が売りらしい。泡盛古酒「琉球王朝」を飲む。うまい!沖縄に来たら泡盛だろう。

で、酔った勢いで2軒目「琉球屋」にいってしまう。メニューに「北海道直送 ホッケ一夜干し」を発見。いらない。「グルクンの唐揚げ」の方がいい。あと、注文したらやたらと量の多い料理が出てきてした。なんとか食べたが、料理がなんだったかよく覚えていない。酔っ払い。

ホテルに帰る途中、平良の飲み屋街を歩いているとお姉さんのいるお店(キャバクラ?)があったりする。関西から遠征してきているらしい。小さな街なので意外だったが、観光客が多いのだろう。自分は酔っていてもさすがに一人でそんな店に入ろうとは思わない。小心者。

コンビニに寄ってホテルに帰る。

明日はもう最終日。まだ行っていない島の南西側にある与那覇や来間島、イムギャーマリンガーデン、上野ドイツ文化村に行こうと思う。最後は島のほぼ中央にある宮古島温泉でさっぱりして空港に向かう。

寝る。

走行時間:0h0m0s 走行距離:0.0km
平均速度:0.0km/h 最高速度:0.0km/h

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